こんにちは♪YUME♡miyakoです。
私がヘレンケラーに興味を持ったきっかけは、ただ一つ、お誕生日がヘレンケラーと同じなのです(^^♪幼い私は、同じ誕生日というだけで、お友だちだと思い、ヘレンケラーの伝記を読みました。
この写真は、8歳のヘレンケラーとサリバン先生(右)です。
この二人の物語を描いた戯曲が有名な『奇跡の人』です。何度も舞台化、映画化、ドラマ化されています。
『奇跡の人』をヘレンケラーと思われている方も多いかもしれませんが、『奇跡の人=サリバン先生』なんですよ。サリバン先生にスポットライトを当てた作品が『奇跡の人』です。
ヘレンケラーの伝記を幼い頃に読み、大人になってからは「奇跡の人」を映画館で鑑賞しました。
見えない、聞こえない、話せない、三重苦のヘレンケラーの初めて発した言葉”water”は、サリバン先生がヘレンケラーの手に直接流した井戸水でした。
この”water”という言葉の奇跡をサリバン先生はどうやってヘレンに感じさせ、言葉として教えることができたのでしょうか?
サリバン先生=アン・サリバンについて語らないといけません。
アン・サリバン
1866年、アメリカ、マサチューセッツの貧しい農家に生まれたアン・サリバンは、幼少期の病気が原因で目が不自由になってしまいました。
その後、母と弟の死、父の失踪、そして劣悪な極貧院での暮らし、絶望の日々の中で、アン・サリバンは「死をも望むような毎日」を送っていました。
そんな時、アン・サリバンを根気強く支え続けた看護師さんの存在があって、盲学校へ進学することができました。その盲学校で、ローラ・ブリッジマンという目も見えず、耳も聞こえない女性と知り合います。このローラとのコミュニケーションのために”指文字”という方法を学ぶのです。アンは、自然と”指文字”を身につけていきます。そして、盲学校を首席で卒業することができました。
この”指文字”が、後にヘレンケラーに”water”と話させる奇跡を呼ぶのです。
アン・サリバンが20歳の時、月25ドルという、当時ではあり得ない程の高給で、ケラー家の家庭教師として雇われることとなり、当時6歳のヘレンケラーと出会います。
井戸のそばで、流れ出る水をヘレンの手に流し、指文字でヘレンの手のひらに、”water”と書いたその時、ヘレンは、初めて、この手の上を流れる物体が”water”であると認識し、世の中のものには全てに名前があると知ったのです。
野生児だった6歳のヘレンと、盲学校を首席で卒業した20歳のサリバン先生に舞い降りた奇跡の瞬間です!
この奇跡は、サリバン先生がヘレンに出会ってから、なんと、わずか1か月後のできごとなのでした。
ヘレンケラーは幼くして三重苦を背負い、ヘレンを可愛そうに思う裕福な両親の元で、やりたい放題の野生児と化していました。あのままだったら、ヘレンの人生が愛と喜びで満ち溢れたものとはならなかったことでしょう。
サリバン先生との出会いこそが、ヘレンの人生を輝かせたのです。
そして、そのサリバン先生自身こそ、想像を絶する苦難の人生の中で、死さえ望んでいたにも関わらず、人との出会いで人生を好転させていく”奇跡の人”なのです。
サリバン先生こそ、奇跡の人=The Miracle Worker なのです。
私は、この作品から、人との出会いが奇跡を起こすということを学びました。
私自身が、素晴らしい人との出会いで、人生を好転させてきました。
自分一人の努力では成し得ないことも、周りの人のおかげで達成することができたり、出会いが出会いを呼んだり、繋がりが喜びを運んできました。
私は、子ども達にとって、このような人生での出会いの1シーンに立ち会いたいと考えています。
自分の知りうる知恵や経験を伝えていきたい!と望んでいます。
サリバン先生のような、目の前の子ども達の人生に光を与えられるような存在になりたいと切に願います。
その為に、学び続け、発信し続けます。皆様と繋がっていきたいと思います(^^♪
今日はこのへんで(#^.^#) ごきげんよう♬