こんにちは♪ 子育てアドバイザーのみやこです♡
入塾してくるお子さんの保護者様の多くが次のような要望を述べられます。
「先生、割り算の筆算がまだよくわかっていないんです。なんとかできるようにしてください。」
「時計の問題ばかり間違えるんです。わかるようにしてください。」
「とにかく動作が遅くて、時間がかかり、忘れ物も多いんですけど、どうしたら治りますか?」
どれもこれも、我が子の欠点しか見ていない発言です。
お子さんのここが素晴らしい!と自慢されるお母さんにはめったに出会いません。
私からお子さんの良いところを引き出そうと、あれこれ会話を探りますが、それでもなかなか出てきません。生活上のエピソードをお聞きして、私が褒める方向に話を向けると「そういう見方もあるんですね!」と逆に驚かれる始末です。
日本の教育は、できないことにフォーカスしてそこを補っていきましょう、というものです。
それに反して、アメリカの教育は、できることにフォーカスして、その分野を伸ばしましょうというものです。
つまり、日本の教育は、マイナスをなんとかゼロに戻しましょう、人並みに、ということを目的にしています。そもそも人並み、って何ですか?いつも他者と比べて、我が子の欠点を嘆いています。
アドラー心理学でいう「共同体感覚」はみんな上下関係がなく、横並びに手を繋いでいます。ですからみんなゼロ地点に立っています。他者と比べません。
それでも得意なこと、できることを伸ばすことは、子どもの自己肯定感を育てます。そして、やる気が芽生えます。
ゼロからプラスを生み出す教育を日本は行っていません。このことが、私には歯痒くて仕方ありません。
私自身、できないことが多すぎて(シングルタスクとHSP、不器用、視野が狭い)、できないことを責められると生きてこれなかったからだと思います。
幸い、私の周りには家族、友人、みんな私を見守り、受け入れて、助けてくれました。
できない部分を知った上で、認め、愛してくれました。
そのおかげで今の私が存在しています。
子どもたちだって同じですよ。
なんでもできる器用な優等生もいますが、その子だって苦手や悩みを抱えています。
不器用でコミュニケーションの下手な子たちはもっと苦しんでいます。
それぞれの子どもたちの持っている輝く宝物に注目して伸ばさないと教育とは言えない、と断言します。
例えば、できないこと=2ケタのわり算のひっ算だったとします。何度練習してもできない子に、
「練習すると出来るようになるから頑張りましょう!」という指導はその子の自己肯定感をつぶしてしまいます。
お母さん、あなたはできなくて苦手なことを毎日練習させられたらどう感じますか?
嫌になってしまうだけでなく、「自分はダメ人間だ」と感じませんか?
そんな自分を下げてしまう思考を幼い頃に植え付けてはいけません。
では、できないことを放置していいの?と思われますよね。
出来ないことを放置して勝手にできるようにはなりません。それでも、得意な分野を伸ばすことでその子自身の資質が向上し、できなかったことが後にできるようになることも、まれではありません。
極端なことを申しますと、私自身はこう考えます。
「できなくっていいんじゃない?生きていけるもの」
です(*^^)v
目先の小さなことにこだわって、「幸福な人生」という大きな目標を見失っていませんか?
子どもの自己肯定感を幼い頃から育てること、それこそが日本の教育に欠けている、と教育現場で感じます。
日本では、みんなと同じように、が美徳で、出来なくても出来過ぎても生きづらい社会です。「出る杭は打たれる」ということわざがその代表選手ですね^_^;
アメリカのように、多様性国家で、実力主義ではあるけれど、一芸に秀でていたら認められる社会、そんな「やる気の起きる社会」でないと、子どもたちは将来に希望を持てません。安心して成長できません。
常に、何かわからないけれど「勉強しなさい」「いい学校へ入りなさい」と言われる社会は子どもたちに将来の希望を抱かせることは不可能です。
自分にはこれがある!
そう思える教育が必要です。
あなたは、あなたのままでいい。素晴らしい資質を持っています。
私はそのように生徒と接しています。
今日はこのへんで(#^.^#) ごきげんよう♬