こんにちは♪YUME♡miyakoです。
私は約20年、教育の現場に身を置いています。
今の仕事が向いているかどうかなんて、自分ではわかりませんし、他人にどう評価されても、今、自分がやりたい仕事が変わることはありません。
教室で生徒たちによく将来の夢を尋ねます。そして、教室の壁には全員の夢を書いてもらったものを貼りだしています(#^.^#)
お花屋さん、ケーキ屋さん、声優、イラストレーター、映画を作る仕事・・・
プロバスケットボール選手、学校の先生、税理士、水族館で働く人、学者・・・・
幼い子たちの夢は顔をほころばせます(^^♪ 夢を追いかけて欲しいと純粋に思います。
私は、物心ついたころには”世界で活躍する通訳”に憧れて目指していました。
きっかけは毎週日曜日の朝に放送されていた「兼高かおる 世界の旅」を見ていたことです。兼高かおるさんに憧れました♡ 彼女は私の女神でした!
『兼高かおる 世界の旅』
1959年12月13日から、1990年9月30日にかけて30年10か月の間、TBS系列局で、毎週日曜日の朝に放送された紀行番組。
150か国あまりを駆け抜けた兼高かおる。
放送回数は1586回、全行程は721万キロ、地球を180周した計算になる。
ジャーナリストである兼高かおるが、ディレクター、プロデューサー、レポーター、ナレーター、そして時にはカメラマンまで、全てを兼ね、世界中を回って出会った人々、地域の情報を届けていた。
有名なのは、ジョン・F・ケネディ大統領に突撃取材した時の放送。
海外旅行など、庶民には到底、手の届かなかった時代に、世界中を見せてくれた番組である。
憧れの兼高かおるさんです(#^.^#)
神戸市出身で、お父様はインド人、お母様は日本人というハーフです。残念ながら、2019年1月5日に90歳でご逝去されました。
兼高かおるさんについて書き出すと、止まらなくなりますのでこの辺で(^-^;
彼女に憧れて、通訳を目指し、英会話スクールに通い、一生懸命英語を学びました。
中学に入り、英語も好きだけれど、数学に強烈に面白さを感じました。その後は、高校で物理にはまり、ここで進路について悩みました。
理数系に進みたい、とは言いつつ、通訳の夢もあきらめきれず・・・・
しかし、ここで私の自分自身の性格との対峙の時を迎えました。
一人っ子でわがままに育ち、そのくせ人見知り・・・
大勢の人がいる所は苦手で、極力行かない、参加しないようにしていました。
兼高かおるさんとは真逆です(^-^;
自分自身と向き合い、悩んだ挙句、”人と接することの少ない職業”=”研究者”という結論に達しました。
バイオテクノロジーと物理学が合体した学部と学科を選択して、大学に進みました。
大学卒業後は、企業研究員として研究所に勤務し、私なりに向いていたと思います。
当時は、学生が学んだ程度では、大企業では通用せず、新しい分野の研究をしていました。
私の想像通り、研究員という仕事自体は、私には適職でした。
しかし・・・・なんということか・・・・
会社員が向いていなかったのです(:_;)
研究業務は楽しくて大好きだけれど、あれこれと指示されることが耐えられなくなっていきました。ここで、元来のわがままが顔を出してきました(^-^;
自分の思うようにできない・・・・それが企業人です。当たり前のようなことに20代後半でやっと気づきました。
そこで、結婚という大義名分を振りかざして退職いたしました(^-^;
結婚、出産を経て、私の人生は迷走しました。しかし、その間も「働きたい」「社会に出たい」という気持ちは収まらず。。。。
紆余曲折の後、息子が通い始めた塾をきっかけに、教育という仕事に出会いました。
あんなに、人と接したくなかったのに、人間嫌いだったのに、今は人と出会い、繋がる仕事をしています。
若い頃に自分が何に向いているかなんて、分からないというのが私の結論です♪
それが当たり前かなと。
向き不向きではなく、自分が何を活かして社会貢献できるか、に尽きると感じています。
適性や適職で悩んでいる方々へ。
そんなの自分でもわかりませんよ♪
だからこそ、出会いを求めて出かけるのですよ。人と繋がって、そこから何かがうまれることだってたくさんあるのです。
そして、出会いだけでなく、挑戦し続けることも重要です。失敗したって大丈夫。失敗は成功の元です。挑戦しないと、新たな自分とは出会えませんよ(^^♪
私は何に向いているんだろう、と悩む前に、今、行動することです。
必ず明日は開けます♪
今日はこのへんで(#^.^#) ごきげんよう♬