こんにちは♪YUME♡miyakoです。
コロナにより、大学病院の小児病棟での読み聞かせボランティアは休止中です(:_;)
2001年からコロナが始まるまで、約20年間、某大学病院の小児病棟で「読み聞かせボランティア」をしていました。
この記事を読んでくださっている方の中には、子どもさんが小児病棟にお世話になった経験のある方、知り合いが関係していた方、全く小児病棟とはご縁のない方、様々だと思います。
小児病棟、そこは俗世間とは隔離された別世界です。
俗世間とは隔離された別世界という言葉だけを聞くと「ユートピア」のように感じますか?
いいえ、違います。
そこは神も仏もいない、地獄のような空間です。
私の行っていた小児病棟は主に「小児腫瘍性疾患(小児がん)と心臓病」の子どもたちが長期入院を余儀なくされています。
家庭とも隔離され(面会できるのは両親と祖父母までで、きょうだいは面会不可能)、学校へももちろん行けません。
病気の特性から、完全個室の子どもが多いのが特徴です。そうなると患児である子どもは両親と医療関係者としか接することはありません。
「院内学級」はあるため、学習の心配はあまりなくなったのですが、元の学校へ通いたいという気持ちには勝てません。
私たちと他のボランティア団体が、プレイルームで読み聞かせの活動をしたり、ベッドサイドに本をレンタルに巡回したりしますが、体調が悪い時は会うことができません。
子どもの病気と向き合うご家族の気持ちは、なった人にしかわかりません。
想像しても、それは他人事です。我が子のこととなると話は別です。
小児がんの子どもを描いたドラマや映画、小説を読んでも、現実とは違います。
子どもの病気をきっかけに、家族が崩壊した例も見てきました。
怪しい新興宗教にのめりこんだり、怪しい健康食品に手を伸ばすご家族も沢山います。
そして、そんな中で亡くなっていく幼子たちを多く見送りました。
神も仏もいない、そう思って当然です。
神さまに召された子どもたちは、天使のような子たちばかりでした。
私は、生きることって何だろうと思いました。
重い心臓病で生まれる前から(胎内で手術を受けます)何度も体にメスを入れるお子さんのお母さんと話をしたときのことです。
お母さん「この子の生きる意味は何だろう。体はメスの跡だらけ。運動制限があり、学校では体育もできない。部活動もできない。何のために生きていくんだろう」と。
私は言葉が出なかったのを鮮明に記憶しています。
病院からの帰り道、そのお母さんの言葉が何度もリフレインしてきて、涙が止まらず寄り道をして川辺に座って涙が出なくなるまで泣きました。
街を行くランドセルを背負った子どもたちを見かけるたびに、神さまは残酷だと嘆きました。
誰も悪くないのに、祈りも願いも通じないと思いました。
生きていることはこんなにも偶然であること。ラッキーであるということをほとんどの人は知らない。
「生きているだけだ丸儲け」なんです。
それ以上何もないのです。
長年こんな出来事を見てくると、神が私たち人間に何をさせようとしているのか分かる気がします。
試練から学びなさい
そう言っていると。
私は何を学んだでしょうか?
教育現場で目の前の子どもたちは、超ラッキーであること、大変幸福であることを保護者様に伝えていかねばと思います。
朝、あわただしい中で学校へ行く準備をし、登校します。学校でもいろいろあるけれど、先生に叱られたり、友達と喧嘩したり、そして帰宅後は忙しくお稽古ごとに通いながらも「だるいなぁ」なんて不平不満を述べ、「もっと勉強しなさい!」なんて言われる毎日。
この幸福に気づいていますか?
こんなありふれた日常が幸福で溢れていることに、ほとんどのご家庭は気づいていません。
幸せは、すでにあなたの手の中にあります。見えていないだけです。
「生きているだけで丸儲け」素晴らしい言葉ですね(#^.^#)
そう思って日々を送ると全てが輝いて見えませんか?
同じ景色が違って見えてきます。
もっと広い世界を知って、自分を知りましょう。
今日はこのへんで(#^.^#) ごきげんよう♬