こんにちは♪YUME♡miyakoです。
私は、母と長い間確執があり、そのために随分苦しんで生きてきました。
私の実家には強固な家風があり、女子は「良家に嫁ぐことが最高の幸せ。その為の花嫁修業が最優先事項であり、女の子に学歴は邪魔で、縁談の足を引っ張る」というものでした。
私には”反抗期”というものがなく、ほぼ半生が反抗期そのものでした。勉強が好きな私は、親の思いとは裏腹に熱心に学び、自分で選んだ大学へ進学しました。親は私が熱心に勉強することに否定的で、よく「しない方がいい」とアドバイスをしました。私へのアドバイスも、母の「幸せになって欲しい」という愛情の表れだったのですが、私には、決めつけられる人生が苦痛でした。
母の子育ての方針は、私にとっては受け入れがたいものでしたが、愛情には溢れていて、過保護に育ちました。
そんな母も、孫ができて、老年期に差し掛かる頃から、丸くなり、私や孫の幸せを願う穏やかな母に変わっていきました。それでも、母親の考え方や物の見方には何度も反発した人生でしたので、母が8年前に他界してからも、母との関係や自分の人生を思い悩みました。おそらく母とは「共依存」のような関係にあったのでしょうね。もっと早く気づいて、母と対峙できていたら、きちんと母子の関係を修復できたと考えますが、アドラー心理学では、「過去のトラウマなどない」という考えの元、「目的意識を持つ・原因を過去に求めない」生き方をしますので、この考えもまた、私を救ってくれています。
そんな私がアドラー心理学を学んで、母のことを理解しました。
母には母の人生があって、喜びも悲しみも私とは違うのだ、違って当たり前なのだ、だからこそ、親子であってもその部分に介入したり、侵略してはいけないのだということを知りました。
スーッと悲しみや苦しみが消えていきました。母の考え方を否定した自分も間違っていたのだと認めました。アドラー心理学を学ぶと同時に学び始めた仏教の精神も私を救いました。”人は死なない”という考え方です。肉体はなくなっても、魂はなくならず、そこにいるという考えです。その時、やっと母の死を受け入れることができました。7回忌を笑顔で済ますことが出来たことはその証です。
塾で生徒たちと保護者様と接していて、子どもを自分の所有物のようにコントロールしようとする親御さんに出会うことがあります。そのご家庭の子どもは苦しいと思います。私は塾の先生ですから、一つ一つのご家庭の問題に介入はできませんし、しません。顕著な虐待が認められない限りは。
しかし、保護者様には伝え続けます。子どもの人生は、子ども自身が決めて選んで、困難を乗り越えていくべきものであることを。その為の一つの手段として「学ぶ」ことから「生きる力や、やり抜く力」を身につけてもらいたいということを。
子どもの人生をコントロールしようとした瞬間から親子の不幸は始まります。
アドラー心理学では、この考え方を「課題の分離」と言います。
アドバイスしてはいけない、とは言いません。親として、持っている知識は子ども達に伝えましょう。その上で、その子自身が選択するのです。
私の生徒さんで、穏やかで優しく、勉強にも真っすぐ取り組む生徒さんたちには、特徴があります。みんな、ご家庭の愛に恵まれています。親御さんは「こうしなさい。こうなりなさい。」という言葉をかけず、その子を見守り、サポートし、健康に過ごせる食事や生活を心がけておられます。「それしかできません」と言われますが、「それだけでよい」のです(#^.^#)親の役目ってそこなんです。
「課題の分離」をして、みんなが笑える世界に♬
今日はこのへんで(#^.^#) ごきげんよう♬